2011年5月18日水曜日

シンガポールについて

知っておくべきこの島のすべて

シンガポールを"ちいさな赤い点"と言う人もいます。しかしそんな名前とは裏腹に、今日のシンガポールは世界的にも大きな存在感を示しています。シンガポールは摩天楼やガーデンシティの景色とともに、世界レベルの生活環境を誇る賑やかで国際色豊かな都市です。シンガポールで特に興味をそそるものは、文化のコラージュです。ここには、違う民族性や信条を持つ人々が共存しています。シンガポールでは、活気にあふれた多文化的な経験に加え、その他たくさんの発見があなたを待っています。

 

シンガポールの過去への旅

シンガポールの最も古い記録は時間の霧の中に埋もれていますが、3世紀の中国の記録ではシンガポールを"Pu-luo-chung(プ・ルオ・チャン)−半島の端にある島"と記述しています。後に、最初の入植が行われたAD 1298-1299年の間、この都市はTemasek(テマセク:"海の町")と呼ばれていました。

 

14世紀に入り、この小さく戦略的な場所に位置する島は新しい名前を得ました。

 

伝説によると、パレンバン(スリヴィジャヤの首都)の王子が狩に出かけた際、それまで見たことのない動物を目にし、それを幸運の知らせだと考え、その動物を見かけたこの場所を、サンクリット語で"singa(シンガ)"(ライオン)と"pura(プラ)"(町)から"ライオンの都市"、Singapura(シンガプラ)と名づけたとされています。

 

この頃、この町は古代シンガプラの5人の王によって治められていました。マレー半島の先端に位置し、航路の自然な集合地点として、この都市は中国の平底帆船やインドの船、アラブのダウ(沿海貿易用帆船)、ポルトガルの戦闘艦やブギス族のスクーナーなどの様々な船舶の往来する交易所となりました。シンガポールの歴史において次に重要な時代にあたるのが、18世紀です。

 

この時期に現代のシンガポールが建国されました。この頃シンガポールはすでに将来有望なマラッカ海峡沿いの交易所となっており、英国はこの地域での寄航港の必要性を感じていました。英国の貿易業者は、この地域へのオランダによる侵攻を妨害すると共に、成長しつつあったイギリス王朝の商船を守り、糧食を補給させるための戦略的な場所を必要としていました。

 

かつてのスマトラにあるベンクーレン(現在のベンクル)の副総統、トーマス・スタンフォード・ラッフルズ卿は近隣諸島を視察した後の1819年1月29日にシンガポールに降り立ちました。そして、湿地に覆われた島の計り知れない潜在性を認識し、地元の支配者と条約の取り決めをし、シンガポールを交易本部として設立しました。その後まもなく、自由貿易という島の政策はアジア中の、そしてアメリカや中東などの国からの商人たちを魅了しました。

 

1832年に、シンガポールはペナン、マラッカ、シンガポール海峡植民地政府の中心となりました。1869年のスエズ運河の開港や電報や蒸気船の出現と共に、東西間の貿易の発展の中心としてのシンガポールの重要性はすさまじく増大しました。成長の一途をたどっていた国の人口は、1819年にはたったの150人だったのが1860年には8万792人にまで増え、その多くは中国、インド、マレー人でした。

 

しかし、この国の平和と繁栄は第二次世界大戦間の1941年12月8日に日本の爆撃機に攻撃された際に大きな打撃をうけました。一度は難攻不落の要塞を称されたシンガポールも、1942年2月15日に日本の侵略下に倒れました。その後3年半の間日本の支配下に置かれ、その間強い弾圧を受け、多くの生命が失われました。

 

日本が降伏した1945年、島は英国軍管理下に移され、これはペナン、マラッカ、シンガポールからなる海峡植民地の解除に至るまで政権を握り続けました。1946年3月に、シンガポールは英領植民地になりました。 

 

1959年に、国家主義の広がりが自治政府、そして国で初めての総選挙へとつながりました。人民行動党(People's Action Party : PAP)は43議席の大多数を獲得し、リー・クワンユーがシンガポールの初めての首相となりました。シンガポールはマラヤ連邦に加わり、マラヤ、サラワク、北ボルネオ連邦と合併し、1963年に、マレーシア連邦が形作られました。しかし、この合併は不成功におわり、その後2年もたたない1965年8月に、シンガポールはマレーシア連邦を抜け、独立し、主権民主国家となりました。その年の12月22日にはシンガポールはついに独立共和国となりました。

 

今日、街中にある、多くの国の記念碑や博物館、記念碑を訪れることで、シンガポールの豊富な歴史的遺産を体験することができます。ここでの旅では、完全なシンガポール旅行のために、必ず多くの遺産コース沿いを歩いてみたり、よく知られているランドマークを訪ねたりしてみましょう。

人々、言語、文化

多文化的な万華鏡

多くの人がシンガポールの美しさとその進化に驚嘆します。最も印象的なことは、この国はかつて原住民が定住していた、つつましい漁師の村であったということです。

 

そんな時代から時を経た現代、シンガポールは摩天楼と美しい庭園があふれる、賑やかな国際色豊かな都市となっています。シンガポールは、様々な文化や料理、芸術、建築が調和している華やかで多様性のある活動的な都市です。シンガポールは、東西の最も良い部分が織り込まれている場所と言えるでしょう。

 

シンガポールは東南アジアに位置し、国土は約710平方キロメートルです。つまり、シンガポールは世界で最も小さい国の一つであり、その地域では一番小さい国です。そのため、"小さな赤い点"というあだ名が付けられています。その小さなサイズに関わらず、シンガポールはその自由貿易による経済と、効率の高い労働力と共に、現在、世界では堂々とした存在感を放っています。また、この地域における有利な立地条件が、シンガポールを主要航路沿いの中心貿易港へと発展させました。

安全なビジネス基盤や好ましい経済情勢以外に、シンガポールが、急速に発展しているもう一つの要因は、安定していて、有能な統治政府です。シンガポールは、民主主義を軸とする政治システムを持っている議会共和国です。現在の政府与党は、民主行動党(PAP)であり、1959年の自治政府からずっと政治プロセスの優位を占めてきました。

 

現在、シンガポールの人口は約500万人に上っており、英語が教育上の主要言語となっていて、それぞれの民族には彼らの母語が使用されています。シンガポール独特のものとして気づかれるのが、文化のコラージュです。シンガポールでは、中国、マレー、インド、ユーラシアの4つの主要民族が、社会として繋がり、協調して生活しています。それぞれの民族集団が文化や、宗教、食や言語において異なる観点を提供しています。

 

多文化社会として、シンガポールは結合力があると同時に多様性があります。シンガポールには、見ることやすることがたくさんありますが、現地の人々との交流によって、シンガポールでの体験が最高のものとなることでしょう。もしも郷愁にかられ、古い世界の魅力を求めているのであれば、この島の主要な歴史的ランドマークや記念碑を訪れてみてください。また、遺跡コースを回り、様々な文化区域(特にチャイナタウンやリトルインディア、カンポングラム)での景観や音を楽しむこともできます。

 

まばゆい都会の灯や喧騒の中にいることを好む方には、うれしいことに、ショッピングモールや博物館、飲食店や娯楽歓楽街の選択肢も豊富にあります。象徴的なオーチャードロード地域で買い物を楽しむことも、クラーク・キーやボート・キー地区でのパーティーで一夜を過ごすこともできます。どちらを選んでも、夜のアクティビティの選択肢は無数です。

 

さらにシンガポールについてあなたを最も驚かせるのは、様々な種類の食べ物です。昼でも夜でも、あなたの食欲そそるものが常にそこにあります。プラナカンから、中華、インド料理、マレー料理、フュージョンなどなど、バラエティあふれる食事で、選ぶのに困ってしまうでしょう。

 

歴史、文化、人々、買い物、そして食という枠を超えて、シンガポールにはあなたの発見を待っている繁栄する都市風景の側面があります。これらはあなた自身が、かつて漁師村から国際的都市へと発展した国の探索にひたることでのみ経験できます。

 

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