2011年6月7日火曜日

「想定外」とトップの役割

 計画、準備に「完全」はありません。計画や準備にコストがかさんでそもそも何もできないのならまさに計画倒れです。「危機に際しては、リーダーは行動するために考えるのではなく、考えるために行動する必要がある」とはミシガン大学のカール・ワイク教授の言葉です。彼は「詳細な計画を作ると、すべてわかったと勘違いしやすい」とも指摘しています。もちろん入念な計画、準備は必要ですが、過剰に計画に期待したり、それですべてできた気になってはいけないのです。不測の事態は起こるものなのです。

 実際、企業の活動においては「想定外」が起こることは日常茶飯事です。その原因は今回のような自然災害だけでなく、競争相手の新技術かもしれませんし、取引先の約束違反かもしれません。あるいは為替であったり、認可であったり、ブームの急速な終焉かもしれません。「想定外」なのですから、準備ができていない。どのような対策があるのか、何が一番良いのか、そんなことがよくわからない局面において、トップは対策を決断しなくてはならないのです。

 時々、「トップの決断とは、100対0なんていうことはなく、51対49で決めることだ」などとおっしゃる方がいますが、これは相当楽をしてきた方でしょう。「51対49」で決めることなんて簡単です。もう答えは出ているわけですから。実際には、そもそも何対何などと数値化できない、あるいは短期的には60対40だけれども、将来的にはそれが逆になりそうだといった「答えのない」あるいは「答えがいくつもある」問題に対して決断をしなくてはならないのです。

 当然ですが、答えがないのですから間違えるかもしれない。つまり、自分の答え如何によって、多くの損失が出たり、被害をこうむる人たちが出てきたりするかもしれないのです。そうなれば、当然責められるし、罪人扱いされるでしょう。せっかくこれまで成功し、順調に昇進を遂げて社長に上り詰めたのに、こんなところでミソをつけるのは嫌だ、もっと情報を集めて確実に決めたい、ほかの会社はどうしている……。こんなことを言うトップを持った組織は、多くの場合地獄行きです。

 難しい決断を、胃をきりきりさせて下さなくてはならないからこそトップの給料は高いのであり、だからトップなのです。それこそが、「運転手と副社長の差よりも大きい」といわれる社長と副社長の差であり、分析をして施策を上申すればよい参謀との違いです。

 「直観」も「勘」も経営の世界で表舞台に出ることは多くありません。科学や分析を重んじる立場からすれば、胡散臭いこと、根拠のないことのように感じられるからでしょう。しかし、不確実な局面で意思決定をしなくてはならないトップは、もう一度自分の「直観」を見直す必要があります。なぜなら、直観とは、これまでの経験が無意識の中でつながり、現場から得られるかぎられた情報から意味を嗅ぎ取る触覚でもあるからです。しかし、そこには明確なロジックはありません。誰かに問われれば「勘だ」と答えるしかないものです。

 一方で、情報量と意思決定の質は正比例しないことも最近の研究が明らかにしています。「オーバーロード(overload)」という言葉があるように、ある時点までは正比例するのですが、情報が「ありすぎる」と人はその情報を消化できず、かえって意思決定の質が下がってしまうのです。「簡単な問題は情報分析をもとに合理的に、複雑な問題は直観に従え」というのが研究者の指摘です。専門家が20種類の紅茶のランク付けをしたとします。全くの素人が、直観でランク付けをするとかなり専門家と近い結果になり、「その理由を書くことにする」と、その結果はとんでもないものになるのだそうです。

 そのためには、外にばかり情報を求め右往左往するのではなく、普段から自分の組織のことを知ることはもちろん、自分の胸に手を当ててその直観を信じる勇気を持たねばなりません。直観を信じたから、必ず成功するとは限りません。しかし、「ほかの人が何を言うか」「嫌われたくない」「どこかにもっといい情報があるのではないか」と考えている限り、幸運の女神がほほ笑むこともないでしょう。

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