2011年6月13日月曜日

“今と異なる自分”になれる?——最後通告は37歳

 人生があまりうまくいっているとはいえない人にとって、37歳前後というのは非常に重い年齢なのではないかと思う。とすると、近年増えてきたフリーター、ニート、失業者などが37歳を迎えると、けっこうヤバイ状況が生まれるのではないか。

 35歳ならまだまだ若いという気持ちがある。しかし37歳というと、40代がぐっと近づいて見える。人生の折り返し点。人生のやり直しがいよいよきかない年齢になるのである。その時、フリーターや、ニートたちは、なかなか平常心は保てないのではないか。その中から、異常な犯罪に走る人間がでても不思議ではない。

 35歳くらいまでは「今の自分」とは「異なる自分」が将来にあるかも、という希望(妄想)を、本人も持てるし、世間も許容するし、実際に可能でしょう。

 それが37歳を超えると、「将来の自分」は「今の自分」と本質的には変わっていないだろうと、確信的に思わされます。未来が今の延長線上でしか想像できなくなる。そういう年齢です。

 三浦展氏は「人生があまりうまくいってない人にとって」という限定を置いていますが、実はうまくいっている人も同じです。順調な人にとって37歳はまさに「飛躍の年」でしょう。将来トップに上りつめる人は、この年齢あたりで確定します。

 20代や30代前半でいくら「優秀だ」「あいつはトップエリートだ」と言われても、彼らが50歳になった時に本当の勝ち組になれているか、リーダーポジションについているか、不確実です。

 20代だと、学歴や遺伝子、就職タイミング時の好不況やちょっとした巡り合わせが、その人の社会人としての成功・失敗を大きく規定してしまいます。「その人独自の判断や努力」がまだ効いていません。

 でも37歳で勝ち組だったら、その理由は「遺伝子やタイミング」ではなくその人自身がやってきたことで決まりつつあります。だからその後の人生との相関が高くなるのです。負け組もまた同じ。「時代のせいだ!」などと叫んでいれば許されるのは35歳までです。

 この年齢で「最後のレース」に残れない人の多くが、道を変更することになります。一方、この年齢で「勝ちに行く」人たちも積極的に自分の道を変更する必要があります。

 例えば、今までは一生懸命仕事をしていただけの人も、この年齢からは所属する"社内派閥"を決めてリスクをとる必要があるでしょう。選挙に出るなど大きく道を変える人もこのあたりで"踏み切る"必要があります。

 個人生活も同じでしょう。30代前半なら、家庭があっても「本当に人生をともに歩みたい人」とやり直すのは可能です。最近は子どもがいてもそういう判断をする人も多いですよね。でも37歳を超えたら、そういう人と非公式な関係を持つのは可能でも、生活の枠組みを変えるのはとても大変になります。

 これは「配偶者が年をとっているから捨てられない」という話ではありません。子どものこと、親の介護、住宅ローン、自分の健康問題、会社での立場など、個人の感情以外のさまざまな制約が絡まって、人生のかじを大きく切ることに必要なエネルギーが圧倒的に大きくなるからです。だから「今あるもの」を大事にすることが唯一の選択肢となったりします。

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