2011年6月14日火曜日

組織のルールと個人の裁量

 ルールは目的があるから存在するのです。特に、組織の仕事の多くは何度も繰り返される「ルーティン」といっていいものですから、そうした仕事を、より効率的に行っていくにはルールが不可欠です(この場合、マニュアルと読み替えてもいいでしょう)。ルーティンを効率よく、間違いなくこなし、例外は上司の指示に従うことが、組織の基本です。

 それでは、なぜ我々はルールといった言葉にマイナスの印象を持つのでしょうか。おそらく、その大きな理由は「目的がはっきりしない」ことではないでしょうか。ルールはそもそも目的があって作られるのですが、いつの間にかルールを守ることが目的になってしまうことも少なくありません。何十年も前の、環境も技術も違っていた時代に作られたルールが残っており、なぜそのルールを守らないといけないのか、誰も知らないまま従っていたというような話も時々聞きます。そうした目的がなくなっても存在するルールがはびこると、「形骸化」が起こり、組織に様々な問題を起こすのです。

 一方で、ルールを作るとそれを変えたり、なくしたりすることは簡単ではありません。1つは、ルールをころころ変えると組織の安定性が担保できないという問題があるのですが、もう1つは「ルールに守られた人たち」「ルールがなくなると損をする人たち」が出てくることです。極端な話、組織でいらなくなった部門をなくそうということになれば、そこの人たちは行き場がなくなってしまうわけで、いろいろな理屈をこねて「存在意義」を主張するわけです。人間には「なければないで我慢できる」が「あったものを失うことには大変な抵抗がある」という心理的な傾向があります(ノーベル賞をとったプロスペクト理論と関係します)。結果として、なんだかよくわからないルール、部門がなかなかなくならないのが組織です。

 そうした状況で、組織の的確性、迅速性を高めようとするとどうなるかといえば「弾力的な運用」で調整しようということになります。つまり、ルールを変えるのは大変だから、ルールを否定するわけではないけれど、「グレーゾーン」を見つけて、あるいは「拡大解釈」して現実に沿った手続きをしようということです。これは、一見大変現実的で、うまいやり方のように見えます。しかし「弾力的な運用」というのは、個人の裁量という得体のしれないものに任されるのです。さらに言えば、どうしても低いほう、楽な方に流れます。結果として、どこかで破たんします。

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