2011年6月1日水曜日

人を見抜く力をどうやって身に付けるか

 『三国志』の時代、日本で人気の高いのは「孔明の罠」でとりあげた諸葛孔明ですが、彼には一つ大きな欠点がありました。それは、主君であった劉備に比べて、人を見る目がなかったこと。

 孔明は宿敵の魏に攻め入ろうとしたさい、最も重要な部隊の指揮官に劉備が「あいつは口だけなので信用してはならん」と言い残していた馬謖を抜擢。しかし、それが裏目に出て、作戦を失敗させてしまうのです。

 「泣いて馬謖を斬る」で知られる有名な故事ですが、ではなぜ、この「人を見る」という点で劉備よりも孔明の方が劣っていたのか。筆者は昔、作家の陳俊臣さんに、インタビューのさいこの疑問をぶつけて見たことがあります。陳さんの答はこうでした。

 「孔明は、若かりしとき戦乱を避けて荊州に引きこもっていました。そこで勉学に励んでいたのですが、現実にもまれる機会が少なかった。それが原因だったのではないでしょうか」

 確かに孔明は若かりし頃、戦乱をさけて荊州で晴耕雨読の生活を送っていました。一方、劉備の方は若い頃からムシロなどを売って糊口をしのぐ毎日。人を見抜いたり、人の気持ちがわかる力を身につけるには、自分と価値観の違う人々のなかで、若いうちから揉まれる経験がまず必要ということなのです。この点は座学だけではどうしようもない面があります。

 え、そんなこと言っても自分はもう若くないし、今さら言われても困るよ、という方もいらっしゃるかもしれませんが、でも大丈夫。中年以降でもこれは鍛え上げることができます。

 井原さんは、二十代は法律、三十代は歴史、哲学と十年ごとにテーマを決めて勉強を続けていて、人柄と才能はもちろん、その研鑽の結果が評価されてのことでした。学歴がないにもかかわらず、これは異例の出世だったのです。

 しかし、そこで有頂天になっていた井原さん、上司に「自分の長所を教えてくれ」と言った所、「それがお前の欠点だ」と言われたことから自分の慢心に気づいたそうです。そこで一念発起して実践したのが、市井で働く人々との交友でした。

 一九五〇年前後は、上野公園の西郷さんの銅像の裏に、千五百人くらいの路上生活者がいたそうですが、そのなかでたばこの吸い殻を生業にしている人に声をかけたのを手始めに、イミテーションの指輪を売っている画学生、流しの歌手、石焼きイモ屋さんなど、以後二十年以上にわたって交友を続けた人は四十人近くいたそうです。

 これは現代に置き換えれば、次のような感じです。昨今、盛んに行われている異業種交流会などに参加して、みなさんが、今まで思いもよらなかったような新たな知見を得られたとします。職場に帰り、その新たな知見で上司や部下を見渡すと、今までは気づかなかった側面が見えてきた——そんな経験、お持ちの方もいらっしゃるのではないしょうか。

 つまり、自分の知らなかった世界を通して、人の事情を知る、人の価値観を知る、人の感情を知る、そんな経験の積み重ねが「感情移入能力」を高め、人の気持ちを察する力を自ずと鍛え上げてくれるのです。

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