2011年6月14日火曜日

組織の目的vsマニュアル

 おそらく、ルールの中で最もよく取り上げられるのはマニュアルだと思いますが、一般的にはあまり評判がよろしくありません。官僚制と同じように、ある目的を達成するための手段だったはずの組織の構造やルールが、いったんできると「結果はどうあれ守ることが大切だ」と自己目的化するように、マニュアルができると、それをなにしろ守ることばかりが重視され、個人の創造性だとか考える力だとかを奪ってしまうといわれます。運動会かなにかでじゃんけんに負けた1人が大勢の分のハンバーガーを買いにマクドナルドに行き、100個注文したところ「こちらでお召し上がりですか」と言われたという、ほんとかどうか分からない笑い話は、こうしたマニュアル第1、考え第2の「マニュアル弊害論」を象徴する例だと思います。

 しかし、よく考えてみると、そうした「マニュアル」の最高峰(あるいは権化)であるといわれているマクドナルドでも、働いているアルバイト、社員の行動、サービスレベルは必ずしも「均一」ではありません。なぜ、同じようなチェーンで、あるいは場合によっては同一チェーン内でも、違いが生まれるのでしょうか。

 吉野家の安部修仁社長は「要は、マニュアルの背後にあるものをどこまで理解させられるかだと思うんです。そのためには、店内でも頻繁にミーティングみたいなことをやるし、社内報ならパート・アルバイトもみんな見ますから、そこでフィロソフィーを訴えていく」ことを強調されています。ディズニーでもそのイメージとサービスを守るために身だしなみや行動に厳しい規律を課しているのと同時に、ビデオなどの様々な手段を通じて、創業者の夢、ディズニーの世界の「魔法」を共有化できるような教育を行っているといいます。

 当たり前の話ですが、マニュアルは結局「手段」に過ぎないのです。しかし、マニュアルを守ることを重視すると、どうしてもマニュアル遵守が目的化してします。ですから、マクドナルドにしても、吉野家にしても、ディズニーにしても、「目的」つまり、会社の達成しようとしている夢であったり、目指すべき姿をしつこいくらい社員やアルバイトに分かってもらうことに腐心しています。

 ルールやマニュアルがあるから「もっといいアイデア」「プラスアルファ」を考えることができるのではないでしょうか。一方で、マニュアルを守ることが目的ならば、マニュアルは「究極のゴール」です。つまり「考えない」「創意工夫がない」のはマニュアルがあるからではないのです。マニュアルを土台、ガイドラインとして目的を達成する喜び、あるいはマニュアルをさらによくして成果を上げる醍醐味を知らないからなのです。

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